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1904
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英文学者である野口米次郎と、作家レオニー・ギルモアとの間にロサンゼルスで生まれる。
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1907
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母と日本に移住。
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1918
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アメリカの学校に送られる。
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1924
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ニューヨークのレオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校の彫刻クラスで学ぶ。
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1926
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デザイン・美術アカデミーのサロン展に出品し始める。
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1927
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グッゲンハイム奨学金を受けてパリに行き、彫刻家コンスタンチン・ブランクーシの助手をつとめる。
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1930-31
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パリに戻り、北京に旅して斉白石に墨絵を習う。
京都でテラコッタの彫刻を制作。
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1935-36
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マーサ・グラハムの舞踏団のために初めて舞台装置を制作。
メキシコで公共市場の壁面レリーフを制作。
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1942
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ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにアトリエを構える。
さまざまな素材で彫刻を作り、家具や照明器具などのデザインを行う。
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1949-52
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ボーリンゲン財団奨学金を得て、ヨーロッパ・アジアを旅する。
日本では岐阜ちょうちんを新たな「光の彫刻」に再生させた「あかり」のデザインを開始。また北大路魯山人のもとで陶器の彫刻を制作。
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1958
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パリのユネスコ本部の庭園が完成。
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1961
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ニューヨークのロング・アイランド・シティに、アトリエを設ける。
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1961-67
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庭園、遊園地(プレイグラウンド)、公共広場などのデザインなど、環境設計を続ける。
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1968
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ニューヨークのホイットニー美術館で回顧展を開催。
自伝「イサム・ノグチ ある彫刻家の世界」(翻訳は、1969年美術出版社刊、小倉忠夫訳)を出版。
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1969-70
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香川県牟礼町に、アトリエを築く。
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1972-79
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8エーカーにおよぶ、デトロイトの「フィリップ・ハート・プラザ」を設計・制作する。
東京の最高裁判所・中庭、パーム・ビーチのフォー・アーツ協会、シカゴのアート・インスティテュートなどに石の泉や噴水などを作る。
東京の草月会館ロビー「天国」を制作。
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1980
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マイアミの「ベイ・フロント・パーク」、コスタ・メサの「カリフォルニア・シナリオ」の設計・制作を開始。
ニューヨークにイサム・ノグチ・ガーデン・ミュージアムを開館する計画を進める。
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1982-84
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ロサンゼルスの日米文化コミュニティー・センター・プラザ、酒田の土門拳記念館、フィラデルフィアの「ベンジャミン・フランクリンのためのモニュメント」、ヒューストン美術館の彫刻庭園などの仕事を完成。
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1985-86
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ニューヨークのロング・アイランド・シティにイサム・ノグチ・ガーデン・ミュージアムを開館。
ヴェニス・ビエンナーレのアメリカ館に出品。
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1987
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ロナルド・レーガン大統領から、国民芸術勲章を受ける。
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1988
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勲三等瑞宝章を受勲。
高松空港にモニュメント「タイム・アンド・スペース」と札幌市郊外「モエレ沼公園」のマスター・プランに着手。
12月30日ニューヨークで死去。
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